「英語の早期教育、本当に必要? 中途半端な「セミリンガル」を生む恐れ」という記事を読んで
英語の早期教育、本当に必要? 中途半端な「セミリンガル」を生む恐れ
という記事を読みました。
読もうと思ったらスマホでみられなかったので、Yahooの方の記事を読みました📚
— Amy (@AmyNYKids) 2020年3月30日
想像したより(失礼な言い方💦)興味深い記事だった。私自身カナダのバイリンガル教育とかも結構調べていたし、東南アジア圏のセミリンガル問題も見聞きしたことがあるので・・・ 長くなるからやはりブログで書きます!
この記事を紹介してくださった「よまよまさん」は英検1級保持の翻訳家の方。
翻訳と通訳といえば、私もすごく尊敬して憧れる世界で働く脳の持ち主なわけで、彼女の抜粋も好きです。
さて、私がこの記事のタイトルを見て最初に感じたことは
と、最初から「またすぐ英語のせいにして~」と思ったのですが、記事はとても良く書かれていて、興味深く読ませていただきました。一読の価値があると思います。
セミリンガルを生む恐れ?
日本の学校教育に英語をいれることや導入方法はどんなものなのかわかりませんが、気になることがあるのは確かです。いくつかあります。
中途半端なセミリンガルを恐れることに関しては、どんな方法で英語を教えるのかは別として、ちょっとカリキュラムに英語を入れたくらいでそう簡単にセミリンガルさえ作れないし、ましてやバイリンガルなんて出来上がらないとも思います。
「日本で・日本人の両親をもって・基本的な教育を日本語で受ける環境」でセミリンガルを作るのは難しいかと。
どんだけ日本語をやらないことが前提なのかわかりませんが、英語教育のせいというより、他に理由がある気がします。
日本語という母国語だけ使っている大多数の人の間でも、学校の勉強をやり直したほうが良いとか、教養や知識の差をとやかくいう人たちもいますから、英語をやっていなくても学力問題はありますよね。
学力があるに越したことはないけど、それでその人の価値が決まるわけではないし。
セミリンガルって言葉が近年日本で知られるようになってきたようですが、どういう意味かというと
ということは、普通に日本で教育を受けていて、家でも外でも日本語を使う人たちが、日本語の文法を英文法を間違える要領で話していたり、語彙が乏しすぎたり(語彙はきりなく増やせるのであくまでも必要な語彙)なおかつ、英語もセミリンガル並みに話せる。
そんなケースってどれだけありますか?
マレーシア人の方を何人か知っていますが、日本と違って多国籍な彼らの環境を考えると、家庭で話す言語と外で使う言語が違ったりしますし、語学力はそれぞれ。スバ抜けてすごい人もいれば、外から見ればセミリンガルといわれがちな人もいます。
セミリンガルといわれたって英語で十分コミュニケーションがとれるし、その社会で立派に働けて(海外でも働ける可能性大)、他の言語もベースがあるのだから必要なら勉強すればいいだけで。ゼロから始める私たちとはスタート地点が違います。
セミリンガルを出来損ないや下に見るような言い方がいつも気に入らないから力が入ってしまった 笑。
母国語でもそうなのだけれど、中には学習障害があったり、言語運用にコンプレックスを持っている人はいて、能力やギフトは人それぞれなのだから、それで頭のいい悪いをまわりがとやかく言ってほしくないなと思うことがあります。
お友達でもセミリンガルだと感じている人がいますが、すごく聡明な方です。
この下の本は、読んだことはないのですが、きっと早期英語教育でおこりがちな問題点が書かれているものと思います。
読むまえから、賛成できる点と反対意見の両方が見えますが、表紙とコメントでちょっと気になった点を少し。
その「英語」が子どもをダメにする
「子供に英会話くらいはできてほしい」という親御さんと、その逆で「中身のない話が英語でできるより母国語を!」というラインが目に飛び込んできました。
どちらも好きな文ではないです。
私は子供英会話講師から始めたので、生徒さんの親たちの期待って面白かったです。これもまた別途記事に書きたいのですが。
中身のない日常会話がペラペラできてもという悩み、って、それかなりのハイレベルですから。それが本当にできる人は好きな分野での知識を使って会話ができ、さらに他の分野にも進んでいける未来がありますしね。
そして母国語学習は当たり前なことです。
学力崩壊は早期英語学習から来るのか?
学力崩壊はどの時代でもでてくる話なのですが、現代のそれって英語のせいですかね?
時代的にも読むより見る時間が増えているわけなので、やはり集中して聞いたり読んだりというインプットは減る一方ですし、親の考え方とか家庭教育も随分変わってきました。
小学校での英語教育に関しては、詳細をしらないので何とも言えませんが、子供のうちは英語で遊ぶとか英語に親しむ、好きで楽しい時間という紹介法でいいような。。。
アメリカの学校のばあい、学区にもよりますが、日本でいう英語教育の導入が、例えばスペイン語で入ってくるところもあります。
うちの子供たちの学校ではアフタースクールのみですが、教科として入っているお友達のケースですと、彼らの母国語である英語には何の影響もないように見受けられます。
そして、スペイン語が少しわかることを子供たちがポジティブにとらえている感じです。(子供にもよるでしょうけど。)
なので、学力崩壊が多言語学習から来るのか?という点には懐疑的です。
日本にしてもアメリカにしても、母国語使って教育を受けることは前提ですすめられているはずですから。
早期英語学習は必要なのか?やめたほうがいいのか?
記事の中では海外の例がでてきていますが、母国語をしっかりやったほうが外国語の習得がスムーズにいくという意見。実用主義の早期教育だけでは読み書きの能力がなかなか身につかないという話。
それぞれ事実でしょう。
でも、他の事実やメソッド・その他の環境もバランスよく考えて自分の家庭に関しては決断したいものです。
話せても読み書きができない件に関しては、「しっかり話せる人は、読み書きができるようになる」を提唱して教育活動をしているグループをみるとそちらも研究してみる価値があります。
でも、日本での早期英語学習という点で考えると、まずしっかり話せる人を作る環境というのは難易度が高いです。
良い意味で、母国語はしっかりやらざるをえない環境にあります。
ということは、記事の中で提出されている悩みから残るのは発音だけということに落ち着くので、それならば、小さいうちから生の英語を聴くチャンスがある環境、英語を楽しめる環境、固いこと言わずに音を真似したり歌ったりという経験など、欲を言えば英語の子供番組や英語の絵本を読むとかして、アメリカの幼稚園生が学ぶことだけでもゆっくり毎日楽しんでいくくらいでいいのかなぁと 緩く考えます。
興味を示してやる気のある子はそこから小学3年生くらいまでの英語力までもっていけば十分そのあと学びやすいかなとか。
厳格な英語教育はできる人・やりたい人がやればいいので。家庭によってとらえ方も楽しみ方も違います。
必要とかやめるという極端な結論に至らず。そんなことを言ってしまうのなら、別に必要ではないし、別にやめることもないしということですね。
本当に極端な方と何人かお話しする機会があったのですが、そのこころは結局「願いとは裏腹に心配がある」というのが常です。
勝手がわからない、経験したことのないことなので情報に振りまわされると感じる人もいます。
記事の最後の言葉と私のだした結論
日本人が日本語を話せるのと同じで、(英語が話せることは)その人の知的レベルとは何の関係もない。日常会話で使う言語能力と、小説や評論、あるいは専門書を読んだり、文章を書いたりする言語能力は、別物だということを忘れてはいけません。
母国語でもこの能力は人によって変わりますね。日本人で日本語が話せるからといって専門書をスラスラ読めるか?文章を書く能力は?
考えさせられます。
そして、英語の運用能力も人によって目指すものが違うことも忘れたくないものです。
話せればよい人もいれば、読めればよい人もいる。英語が聞こえて理解できたら十分と感じる人もいれば、ネイティブのように運用したい人もいる。
結論:
今の日本ではセミリンガルを作り出すことも難しいから心配無用。
母国語をしっかりやるにこしたことはないというのは当たり前。
英語教育はバランスが大事、極端に考える必要はない。
発音は早めに触れる方が良いが、勉強は後からでもできる。
私個人の経験でよかったことは、小さいうちに英語の本当の音を知れたことです。話せなくても、音の違いに気が付くことは音を識別するのに後で役立ちます。
あとは、英語に対するポジティブなイメージと楽しいイメージをもたせてもらえたことを親に感謝しています♡
ちなみに話せるようになったのは大人になってからです。
完全改訂版 バイリンガル教育の方法
バイリンガルな日本を目指して―イマージョン教育からわかったこと
最後に書き忘れましたが、どの言語でも理解力と読解は大切!
出所をわすれましたが、こんな文章を見かけたのでシェアします。